僕は岐阜県可児市という、美しい自然に囲まれた環境で一男三女の長男として育ちました。

子供の頃は、感情のコントロールが難しく問題行動がしばしば起こり、両親が学校に呼び出されることがありました。

自分でもなぜそうしてしまったかが理解できず「人間関係は容易ではない」と感じ、

同級生との関係も上手く築けないまま、孤独を選ぶようになっていました。

人と距離を保ちつつ、普通の学生生活を送り、大学を卒業してからは車の整備士としての日々が始まりました。

その中である女性と出会い、未来を共にすることを夢見ました。

しかしその夢は、彼女が理由も告げず姿を消すという形で打ち砕かれました。

残された部屋で孤独と向き合いながら「このままでいいのだろうか」という疑問が湧き上がり、

会社を辞め、24歳の春、写真専門学校へ入学しました。

最初に撮った被写体は、通学途中によく見かけていたホームレスの方でした。

ホームレスとの対話など未知の経験で、普通ではないことをしているような気がしました。

しかし、その方は僕を温かく受け入れてくれました。

ファインダー越しに見たその姿は美しく、暗室で浮かび上がってくる像を見たときに、僕は人々との繋がりを感じずにはいられなくなりました。

学校を卒業し、東京の商業スタジオで働き始め、忙しい日々の合間に路上を歩き、人々の写真を撮影し始めました。

ポートレートを撮る場所はどこでも良いと思っていましたが、僕は上野公園に魅了されました。

その公園は、家族連れ、カップル、藝大生、女装家、路上生活をする人々など、多様な人々が交錯し共存する、東京の中でも特別な場所でした。

公園の真ん中にある不忍池の蓮は、季節の変化を通じて生と死のリズムを感じさせ、僕の心を引き込んで離しませんでした。

僕は、毎日のように公園に足を運び、人々の写真を撮り続けました。

ある日、同じベンチに座り、早朝から日が暮れるまで自画像を描く画家に出会いました。

顔が認識できないほど塗り固められた醜悪な自画像に釘付けになりました。

彼はこう語りました。

「僕は人間にしか興味がないんだ。人間は、とても醜悪でありながら同時に美しい存在だ。公園にはいっぱい人がいるだろう。だから、公園で人を見ながら描くんだ」と。

その瞬間、僕が人々に惹かれ、日々歩き回り、声をかけて写真を撮る理由が理解できたような気がしました。

上野公園は美しい自然と共に、人間の醜さと美しさが交錯する場所です。

僕はこれからもその変化を記録し続けます。